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2016.09.19 Monday

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2016.09.19 Monday

駅舎「足尾駅」 〜すずちゃんが見送るホーム〜

 

 

 

CATEGORY Railway staition Architecture

わたらせ渓谷鐡道 足尾駅(1912年開業)

 

2016年9月11日 群馬県桐生駅から栃木県間藤駅を結ぶ「わたらせ渓谷鐡道」沿線を小旅行した。

途中、神戸駅からトロッコわたらせ渓谷号に乗車、長いトンネルを抜けて美しい渓谷の風景を堪能、

そして、終着駅の「足尾駅」で下車した。

 

足尾駅は、木造駅舎に二面二線の小さなホームとキハ30系などの車両が構内に保管され、なかなかの寂びれた雰囲気。

最近は、2015年に公開された映画「海街diary」のロケ地として有名。

駅のホームで見送る腹違いの妹すず(広瀬すず)に、綾瀬はるか演じる三姉妹の長女、幸が思わず「鎌倉で一緒に暮らさない」と

声をかける印象的なシーンが撮られた場所だ。

 

私は、駅舎やホームのほか構内に保管されている大好きな気動車(キハ30系)など数十ショットをカメラに収めたが、

ちょっとばかり「海街diary」を思い出せるような感じの写真3枚をここに載せてみた。

 

撮影:2016/09/11 Nikon D700


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2016.09.15 Thursday

木造校舎「旧花輪小学校 記念館」

 

 

 

CATEGORY School Architecture

旧花輪小学校(1931年)設計:大川勇

 

2016年9月11日 群馬県桐生駅と栃木県間藤駅を結ぶ「わたらせ渓谷鐡道」沿線を小旅行した。

そして、この沿線にも素敵な木造校舎があった。

 

群馬県みどり市東町にある「旧花輪小学校」。

1873(明治6)年に開校した歴史ある小学校だ。

現在残る木造校舎は、日本鋼管の創立者であり、卒業生である今泉嘉一郎の寄付により1931年に落成。

設計は、早稲田大学出身の建築士 大川勇で、その生涯で多くの学校の設計に携わったという。

旧花輪小学校は、赤瓦と左右対称のシンメトリーが美しい、大川の代表作といわれる。

2001(平成13)年に廃校となったが、同年に国登録有形文化財の指定を受け、2003(平成15)年、記念館として開館した。

ちなみに「うさぎとかめ」「はなさかじじい」「金太郎」など、数多くの童謡を生んだ作詞家の石原和三郎が卒業生である。

 

実際に見る校舎は、外部の建具がアルミサッシに取り換えられた他は建築当初の姿を残していて、

先述のとおり赤瓦とシンメトリーの美しい造形、さらには屋根上にあるドーマーがアクセントになっている素敵な校舎だ。

廃校前は、正面が運動場だったようだが、現在はそこに幼稚園(保育園?)が建ち、

この素敵な木造校舎を正面から撮影できないのが非常に残念だった。

 

内部は、展示室や資料室となっていて、管理されている年配の方々(卒業生の方々?)から丁寧に説明をしていただいた。

また、2階の音楽室で年配の男性(元音楽の先生?)がピアノを弾いていらして、

木造校舎に流れる懐かしいメロディーが郷愁を誘った。

久しぶりに訪れた木造校舎、やっぱりいいなと感じたひとときだった。

 

撮影:2016/09/11 Nikon D700


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2016.09.05 Monday

武相荘 再訪

 

 

 

 

CATEGORY Architecture

旧白洲邸 武相荘(1943年)

 

10年振りに「旧白洲邸 武相荘」を訪れた。

 

武相荘の住人は、白洲次郎と妻の正子(だった)。

正子(1910〜1998)は、随筆家であり、また骨董収集家であった。

一方、次郎(1902〜1985)は、実業家というのが正しいだろうか、戦後、連合国軍占領下で吉田茂の側近として活躍したが、

どちらかというと妻(正子)のほうが著名であった。

しかし、近年は書籍やドラマなどの影響で次郎の生き方や名言が恰好いい男の代名詞となり、次郎の知名度と人気が急上昇した。

私が白洲次郎を知ったのは、30年近く前。

自動車雑誌NAVIに連載された「隠された昭和史の巨人・白洲次郎伝説〜日本国憲法とベントレー」を

読んだことがきっかけで、以来、彼に関する書籍を読み漁り、リスペクトする人物のひとりとなった。

多少脚色されているとはいえ、彼そのものと彼の生き方が恰好いい。

人として、男として、仕事を任された立場として、彼のようにありたいと思わせる。

白洲夫妻に関するこれ以上のことは、数ある書籍に任せることとし、「武相荘」のことについて少し触れておきたい。

 

武相荘は、太平洋戦争開戦2年後の1943年(昭和18)年、次郎41歳の時、

留学時に学んだ英国貴族の暮らし方から仕事を退いた「隠居」生活と戦争の行く末を案じた「疎開」生活をおくる

「カントリー・ジェントルマン」となるための住処であった。

場所は、神奈川県の鶴川村能ヶ谷(現:東京都町田市能ヶ谷)、長閑な農村で安全な田園生活をおくりながらも、

首都東京からそう遠くないこの地は “カントリー・ジェントルマン” にとって好都合だった。

物件としては、傷んだ農家だったが、山を背に小高い丘の上にある南向きの家屋とともに、竹藪や栗林のある大きな庭、

千五百坪の水田、九百坪の畑など、とても気に入ったという。

また、元々、門はなかったが、40年ほど前、近隣が住宅地として開発されたことから、門が必要となり、

芝高輪のある屋敷の門を白洲夫妻が気に入り、移築したものだという。

米松材を使用した昭和初期の長屋門は、茅葺屋根の母屋へ向かう動線にぴったりで、まるで最初からここに在ったような雰囲気だ。

 

以前、敷地内は、良くも悪くも手付かずなところがあったが、昨年、駐車場や散策路が整備され、

また、母屋は、よりミュージアム的になって、『住処』を感じられなくなってしまったのが、少しばかり残念だ。

 

10年振りの武相荘、ファインダーを覗きながら、

変わるもの、変わらないものを再考したひとときだった。

 

撮影:2016/06/18 NIkon D700


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2016.07.31 Sunday

Now&Then Photos 〜君に逢いたい〜

 

CATEGORY:Extra Edition

 

Extra Editionとして建築以外のPhoto&Essayとさせていただきます。

 

昨年12月、親父の三回忌法要を行った。

親父が逝って2年、今になって、聞いておけばよかったと思うことが結構ある。

 

若い頃、カメラに凝っていた親父。

姉と私、そして新幹線を写した写真が残っている。

 

私が6歳になるまで住んでいた家は、東海道新幹線の線路まで徒歩で5分ほどの距離にあったが、いつ撮ったのか?

残念ながら撮影日の記録、記載がなく、私にもかすかな記憶しかない。

東海道新幹線の開業日、1964年10月1日以降だろうか?

開業前に試運転をしていたという記録もあり断定できないが、

写っている私や姉の年恰好や服装、そして車両や線路設備、または風景などから、1964年の開業前後と考えたい。

(1962年 鴨宮〜綾瀬間にモデル線が敷かれ、早い段階で試験運転がなされていたが、上述の判断材料から開業前後と推測する)

 

大好きだった乗り物、夢の超特急、親父が撮ってくれた懐かしい写真・・・私の原風景の『今』を撮りたいと思った。

撮影場所は、かつての家の周辺、写っている風景や設備から絞ることが出来た。

決め手は、き電線接続鉄構が写っていることで、平塚変電所に一番近い第四神田cd(起点から52K733M)というガード周辺と

特定できた。

 

では、Now&Then Photos・・・約50年前のあの日と今を比べてみたい。

 

「き電線接続鉄構と第四神田cdガードが写る線路をバックに」

 

左が1964年、線路をバックに姉と私、そして右は2016年。

私の後ろに平塚変電所のき電線接続鉄構とガードが写っている、畦道で撮ったスナップだろう。

親父と同じ目線でファインダーを覗くと、野原と畦道だけだった風景は建物が立ち、道も広くはないが舗装されていた。

首から下げた双眼鏡であの日の私が見た景色、感じた興奮。

一眼レフに持ち替えた私が君に逢えた瞬間だった。

 

「第四神田cdガードを通過する新幹線」

 

1964年と2016年。

き電線接続鉄構に加え、敷設トラフがあることで第四神田cdガードと特定できる。

当時と同じアングルではガード前にある個人のお宅がもろに写ってしまうので、反対側(変電所側)から撮影した。

(シャッタースピードは、親父の写真をイメージして1/250秒で撮影)

なお、「むーさんのお出かけ通信BLOG」に、ほぼ同じ場所で撮影された写真が掲載されていて、

1965年撮影の写真では家は無く、1970年撮影の写真では家が写っているので1966〜1970年に建ったのだと思われる。

(参考:むーさんのお出かけ通信BLOG http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2011-01-07

 

「新幹線と周辺風景」

 

夢の超特急0系が懐かしい。開業当初の0系は12両編成、今はN700系で16両編成。

写真で見るかぎり、周辺の様子はあまり変わっていない。

 

「線路内」

 

親父が撮影した線路内の写真、今なら処罰される行為だが、低いフェンス、1時間に2本程度のダイヤ、長閑な時代だった。

当然『今』の写真は無い。

左)東京方面にレンズを向け、線路の左手に平塚変電所が見える。

右)名古屋方面を望む、野原と畑ばかりだ。

 

撮影:2016/05/15 2016/07/18 Nikon D700


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2016.01.26 Tuesday

旧トレッドソン別邸 〜ロマンチックな週末別荘〜



CATEGORYOrganic Architecture
旧トレッドソン別邸(1931年)設計:アントニン・レーモンド

日光 有機的建築探訪旅行 #3 旧トレッドソン別邸

2015年11月20日 日光へ有機的建築探訪の旅に出た。
前月 軽井沢、高崎を訪れ、アントニン・レーモンド作品を巡ったが、
その流れで日光にあるレーモンド作品を見たくなり探訪することにした。

旧イタリア大使館別荘を見たあと、今度は少しマイナーなレーモンド作品を訪れた。
それは「旧トレッドソン別邸」だ。
レーモンド作品であるが、特筆すべきはこの建物の担当は吉村順三で、彼の作品だと記している資料もある。
23歳だった吉村順三が携わった作品として非常に興味深い。

場所は、輪王寺の寺社境内にあり、ここにはかつて多くの宿坊があったが、
大正期を経て昭和にいたると外国人の居住地(別荘)になったという。
実際に訪ねてみると、周辺は鬱蒼とした杉の林に堅固な石垣があり、
石垣にはさまれた道は苔生し石がごろごろとしていて、宿坊があった当時の姿を残しているようだ。
少し迷ったが、見ればそれがすぐに目的の建物だとわかった。
先に記した杉の林、石垣、苔がそのまま庭となっているその建物は、
軒先近くで勾配を微妙に緩く変えている切妻屋根が独特で美しい。
そして、レーモンド作品集(1935年 城南書院)に掲載されている旧トレッドソン別邸のコメントどおりだと思った。
「ロマンチックな環境に建てられたロマンチックな週末別荘、自由な平面計画と・・・」

旧トレッドソン別邸は、住み手は変わったが現在も住み継がれている一般住居である。
許可なく立ち入り出来ないし、当然、内部の撮影も出来ない。
外観も許可を得て撮影すべきだが、ご不在のようで「ロマンチックな別荘」を遠目からほんの数枚だけ撮らせていただいた。
(石がごろごろとし湧水が流れる斜面で足元がおぼつかず写真がブレてしまった)

撮影:2015/11/20 Nikon D700

参考文献
・住宅建築記事(415),12-17,2009-11 建築資料研究社
 野沢正光「トレッドソン別邸を見るー23歳の吉村順三が担当した別荘」

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2016.01.26 Tuesday

旧イタリア大使館別荘 〜晩秋の桟橋〜



CATEGORYOrganic Architecture
旧イタリア大使館別荘(1928年)設計:アントニン・レーモンド

日光 有機的建築探訪旅行 #2 旧イタリア大使館別荘より桟橋、中禅寺湖を臨む

2015年11月20日 日光へ有機的建築探訪の旅に出て、まず最初に訪れたのは「旧イタリア大使館別荘」だ。
建物については、すでにブログに記したが、ここではロケーションのすばらしさをお伝えしたい。
建物から中禅寺湖畔に砂浜と桟橋が臨まれ、その先に湖水と空が現れる。
別荘として必然的に選ばれた場所なのか、夏の避暑地として格別な景観であることは容易に想像できるが、
晩秋のこの雰囲気も幻想的な景観である。

私の今年の年賀状に使った写真を掲載してみた。

撮影:2015/11/20 Nikon D700

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2016.01.26 Tuesday

旧イタリア大使館別荘 〜湖畔で過ごすサマーハウス〜





CATEGORYOrganic Architecture
旧イタリア大使館別荘(1928年)設計:アントニン・レーモンド

日光 有機的建築探訪旅行 #1 旧イタリア大使館別荘

2015年11月20日 日光へ有機的建築探訪の旅に出た。
前月、軽井沢と高崎を訪れ、アントニン・レーモンド作品を巡ったが、
その流れで日光にあるレーモンド作品を見たくなり探訪することにした。

まず「旧イタリア大使館別荘」を訪れた。
美の巨人たちなどテレビでも取り上げられているレーモンドの代表作品である。
1928年から1997年まで大使館別荘として使用され、1998年 栃木県がイタリア政府から買収し、
2000年10月 イタリア大使館別荘記念公園として開園した。

県営歌が浜駐車場に車を停め、そこから徒歩で約15分、まず平屋の副邸が見え、
その先、中禅寺湖畔に2階建ての本邸がある。
避暑を目的とした別荘だから夏に訪れるべきであろうが、
季節は晩秋、今にもそぼ降る雨が雪に変わりそうな初冬である。
実は紅葉も終わった日光・中禅寺湖は人も疎らで建物の撮影には好条件だろうと踏んでいたが、
予想通り見学していたのは女性グループ一組だけで撮影が捗った。
夏の別荘もいいが、冬支度に入る晩秋の別荘も雰囲気がある。
(見学期間は11月末まで)

本邸は木造2階建て、特徴はなんといっても地元の杉を独特な方法で使用していることだ。
外観は、樹皮と薄い板に分けてデザインされた横縞や市松模様が印象的。
さらに内装についても杉皮を様々な意匠で多用し、建物全体で統一感を醸し出している。
間取りは、1階に暖炉をもつ書斎と食堂、中央に居間、2階は大使の間と寝室となっている。
1階には眼下に湖畔の砂浜と桟橋を臨む開放感あふれる長い広縁があり、ここの居心地がすばらしく良い。
湖畔で過ごすサマーハウス、このすばらしい建物と自然の中でゆったりとした避暑生活をおくりたいものだ。

上部のボタン「Photo SlideShow」をクリックし、セレクトした写真をご覧いただきたい。

撮影:2015/11/20 Nikon D700

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2015.12.30 Wednesday

群馬音楽センター 〜建物の旋律〜



 

 

CATEGORY Organic Architecture
群馬音楽センター(1961年)設計:アントニン・レーモンド

軽井沢 有機的建築探訪旅行 #8 群馬音楽センター

2015年10月19日〜20日 軽井沢へ有機的建築探訪の旅に出た。
軽井沢への旅と記してしまったが、実際、軽井沢は初日だけ、しかも宿泊は戸倉上山田温泉の「豊年虫」で、
2日目は群馬県高崎市を訪れる旅だったのだ。
初日の軽井沢ではアントニン・レーモンドの作品を探訪したが、高崎にも是非見ておきたいレーモンド作品があり、
旅の行程を計画した。

高崎に到着し、旧井上房一郎邸を訪ね、そのあとレーモンドの後期の代表作のひとつである「群馬音楽センター」に向かった。
群馬音楽センターは、先に見た旧井上房一郎邸の井上房一郎と深く関わりをもっている。
高崎市出身の実業家である井上は、群馬・高崎の音楽や美術など文化活動に貢献した文化人でもあり、
群馬音楽センターは、井上が親交のあったレーモンドに設計を依頼したのだ。
井上がレーモンドに依頼した設計の内容は、音楽を良質に聴くことができるホールであること、
歌舞伎などの演劇も上演できること、さらに低予算でつくること等、厳しいものだったという。

1961年に完成後、群馬・高崎の文化拠点となっているが、RC造の折板構造(不整形折面架板構造)による独特かつ印象的な
外観デザインは、日本のモダニズム建築として高い評価を受け、建築作品としてもシンボリックな存在となっている。
完成当初には厳しい評価もあったというが、当時ではその斬新さ、先見性が理解されなかったのかもしれない。

実際に訪れ、まず感じたのは、資料で見た印象と比べると結構老朽化しているということだ。
(50年以上も前の建物だから仕方ないが)
しかし、ダイナミックな造形の外観は格好いいし、力強い折板のフォルムは圧巻でコンクリート打ち放しの壁面も美しく、
音楽ホールとして建物全体に旋律を感じるようなデザインだ。
確かに50年以上前にこの建物を初めて見たら、違和感を持つ人がいても当然かもしれない、
今見ても「ハッとする」プロポーションなのだから。
欲を言えば周辺の環境がすっきりしていればもっと印象的だと思う。

撮影は時間がなく急ぎ足になってしまった。
本当は内部も見たかった。
特にホール内の光のコンクリートアーチが美しいのだ。
機会があればまたゆっくり訪れたい。

撮影:2015/10/20 Nikon D700

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2015.12.23 Wednesday

泉澤守氏のランプシェード 〜温かな景色〜




 

CATEGORY Organic Architecture

旧井上房一郎邸(1952年)設計:アントニン・レーモンド/井上房一郎
旧井上房一郎邸内 展示作品「四季を表現したランプシェードの連作」作:泉澤守
高崎美術館内 展示作品「ストーンアート」「ステンドグラス」作:泉澤守

軽井沢 有機的建築探訪旅行 #7 旧井上房一郎邸内 展示作品

旧井上房一郎邸については、すでにこのブログに記したが、
邸内を撮影していた際、居間で読書をしていた男性から展示されているステンドグラスのランプシェードを
写真に撮ってほしいと頼まれた。
私が「構いませんけど」と答えると、男性は「名刺を持ってくる」と言って邸内から出て行ってしまった。
やりとりを聞いていた学芸員の方に「あの人はどなたですか?」と尋ねると、「作者の泉澤先生です」と教えてくれた。
しばらくして泉澤氏は戻ってきて「名刺交換なんてあまりしたことがないので・・・」と言いながら私に名刺を手渡し、
写真が出来たら送ってほしいと言われた。
偶然、作者本人と居合わせ、作者本人から頼まれたのも何かの縁だと思い、撮影と出来上がった写真の送付を快諾した。

F.L.ライトも、遠藤新も、レーモンドも然り、彼らは照明器具や家具にいたるまでトータルで設計・デザインし、
これらを含めたうえで建築作品として成立させている。
旧井上房一郎邸もレーモンド、そしてノエミ夫人のデザインした家具が建物に調和している。
設計者が意図する調和とか統一という視点から、そこに置く家具など調度品は選定するセンスを問われ、
下手をすれば違和感のある景色をつくってしまうということになる。

邸内に展示されている泉澤氏の「四季を表現したランプシェードの連作」は、
この建物の佇まいによく調和し、深く静穏な雰囲気をつくっている。
撮影ではランプが灯る温かい景色を露出アンダーで表現した。

併設する高崎美術館では、高崎ゆかりの画家である泉澤氏を含む三作家の作品展「三人旅」が行われていた。
こちらにあった泉澤氏の作品の一部も撮影させていただいた。

上部のボタン「Photo SlideShow」をクリックし、建物と調和した泉澤氏の作品をご覧いただきたい。

撮影:2015/10/20 Nikon D700

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2015.12.22 Tuesday

旧井上房一郎邸 〜素晴らしい融合〜





CATEGORY Organic Architecture
旧井上房一郎邸(1952年)設計:アントニン・レーモンド/井上房一郎

軽井沢 有機的建築探訪旅行 #6 旧井上房一郎邸

2015年10月19日〜20日 軽井沢へ有機的建築探訪の旅に出た。
軽井沢の旅と記してしまったが、実際、軽井沢は初日のみ、しかも宿泊は戸倉上山田温泉の「豊年虫」で、
2日目は群馬県高崎市を訪れる旅だった。
初日の軽井沢では主にアントニン・レーモンドの作品を探訪したが、高崎にも是非見ておきたいレーモンド作品があり、
旅の行程を計画した。

高崎に到着し、まず訪れたのは「旧井上房一郎邸」だ。
場所は高崎駅から程近いところ、以前は高崎哲学堂(旧井上邸)という名称だったが、2009年に高崎市の管理となり、
隣接する高崎市美術館と一体的な整備をはかり、旧井上房一郎邸として美術館に併設という形になった。

井上房一郎は高崎市出身の実業家で、1952年 焼失した自邸の再建にあたって親交のあったレーモンドの事務所兼自邸を
再現しようと計画し、レーモンドの快諾を得て、図面の提供を受け、建物を実測、これをもとに新たな自邸が設計・建築
されたという。
言わば原設計がレーモンド、実施設計が井上で、両者の建築的な意図と表現が融合した建物ということになる。

構造は木造で、丸太による鋏状トラスを用いた構法、長く張り出した低い軒先、ラワンベニヤの壁、
広い開口部をもつ居間とそこにある暖炉、パティオと称される半屋空間等々、いわゆる「レーモンド・スタイル」と
よばれる木造建築様式だ。
井上がアレンジした箇所は、居間と寝室を反転させ、和室を設け、生活スタイルの違いから床材を変更するなど、
日本的要素と地域性を含め生活面に関わる実質的な部分となっている。

レーモンドと井上、洋と和、モダニズムと日本の木造建築様式・・・
融合し、完結した建物、飽きることなく撮影に夢中になってしまった。

レーモンドの事務所兼自邸が現存していないのでレーモンド・スタイルを知ることができる貴重な建物だ。

上部のボタン「Photo SlideShow」をクリックし、セレクトした写真をご覧いただきたい。

撮影:2015/10/20 Nikon D700

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